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日本ハムの歴代ドラフト1位選手〈2〉~大谷、ダルビッシュ…強運すぎる?~

2016 12/16 20:07
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

FA権取得で球界を騒がせている陽岱鋼選手、メジャーリーグで活躍するダルビッシュ選手など、今もなお話題性のある選手たちを獲得してきた日本ハムファイターズ。大活躍をしていた元日ハム選手を含め、歴代のドラフト1位に指名され、1981年?2005年に活躍した選手たちを抜粋、紹介する。

2005年ドラフト1位 陽 岱鋼選手

台湾・台東市出身の陽選手。2005年のドラフト会議で日本ハム、ソフトバンクから1位指名を受けて抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。2013年には、400イニング以上に出場し、超一流の守備として高く評価されている。守備範囲が広く、反応も速い走攻守で華麗なプレーが武器の陽選手。センターとしては日本一とも言われている。2013年には盗塁王を獲得、2016年は開幕スタメンとしても多くの試合で活躍されていた。

2004年ドラフト1位 ダルビッシュ有選手

2007~2011年の間、球団史上最長の5年連続開幕投手を勤めたダルビッシュ選手。その活躍ぶりは記憶にもよく残っている方も多いのではないだろうか。2004年のドラフトではかなりの注目度だった。
日本ハムファイターズから1位指名を受け、入団。同年には右膝の関節炎でドクターストップがかかったが、2007年の初開幕投手を務めてからはMVP、シリーズ敢闘選手賞などを受賞、日本プロ野球史上最年少で、2億円プレーヤー、2010年には史上最年少、最速で5億円プレーヤーとなった。2012年からはテキサス・レンジャーズで活躍している。

1987年ドラフト1位 武田 一浩選手

1987年のドラフト会議で日本ハムファイターズ、南海ホークス、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツから1位指名を受け、抽選で日本ハムファイターズが交渉権を獲得、入団する。結果的には移籍により武田選手はこの4球団はすべて在籍することとなった。1年目から一軍で登板、活躍を重ね、2年目以降には日本ハムの主軸として活躍されていた。1991年には最優秀救援投手にも選ばれる。
武田選手はテレビメディアに取り上げられることもあり、お茶の間にも人気の選手だった。実は、日本のプロ野球にカットボールを広めたのは武田選手ともいわれている。

1983年ドラフト1位 白井 一幸選手

1983年のドラフトで日本ハムから1位指名を受け、入団した白井選手。1年目である1984年のパ・リーグ開幕戦では、新人選手の中では唯一の先発出場を果たし、初打席初安打を決め、93試合に出場した。
当時、日本のプロ野球界では好まれていなかったウェイトトレーニングを取り入れた練習メニューが話題を呼んだ。俊足を武器に1987年には全試合に出場、21盗塁とホームランを15本という成績を残したが、相手チームの選手のラフプレーによる怪我や、持病の膝の痛みなども重なり、戦力外通知を受け、オリックスに移籍。1996年に現役引退。その後は日本ハムの球団職員となる。
二軍監督、ヘッドコーチ、内野守備コーチなどを務めていた。メディアでの解説でも、白井氏の声に聞き覚えのある方は多いのではないだろうか。

1981年ドラフト1位 田中 幸雄選手

往年の日本ハムファイターズで活躍したスター選手といえば田中選手。現在は静岡県、菊川南陵高校の監督を務めている。1981年のドラフト1位指名で日本ハムに入団、1年目から一軍で活躍し、1985年にはノーヒットノーラン、完封勝利を果たした。1991年に現役を引退し、日本ハムのスカウト、そして投手コーチを務め、2005年まで日本ハムにさまざまな方面から貢献していた。
84年に入団した内野手のミスターファイターズこと田中幸雄選手と同姓同名で、オオユキ・コユキのエピソードも未だ語り継がれている。

まとめ

北海道日本ハムファイターズ、現役・歴代のスター選手の中で、ドラフト会議で1位に指名された選手をまとめた。当時応援していた選手など、懐かしいテレビ中継の様子を思い出す方も多いのではないだろうか。今後の活躍を楽しみにしたいと思う。