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広島東洋カープの名選手~その功績を探る<緒方孝市編>

2016 12/2 01:42
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

広島東洋カープを見事25年ぶりの優勝へと導いた緒方孝市監督。最近試合を見始めた若いカープファンは、緒方さんの現役時代を知らない方も多いかもしれない。カープ一筋・緒方さんのプロ野球人生と功績を紹介する。

緒方監督の野球人としての原点

本名は緒方孝市。1968年12月25日生まれで、出身は九州の佐賀県。現役当時のポジションは外野手で、ゴールデングラブ賞を5回獲得するほどの実力の持ち主だ。 高校は地元佐賀県の佐賀県立鳥栖高等学校へ入学。3年生の時に出場した九州大会でベスト8、夏の全国高等学校野球選手権の佐賀大会ではベスト4の成績を納める。
その後大学へは進学せず、1986年のドラフト会議で指名を受けた広島東洋カープの提示条件に合意し、プロ野球人生をスタートさせるのだった。

プロ野球の世界へ、広島東洋カープ入団

1986年にカープへ入団した緒方さんは、まずは外野手としてその力をつけるために練習に明け暮れる。1989年オフにはペニンシュラ・パイロッツへの野球留学も経験。1991年には日本シリーズの先発メンバーにも名を連ねるなど、首脳陣からの期待を集めていく。しかし、毎年怪我に悩まれることがネックとなり、絶大な信頼を寄せられるまでには至らなかった。
そんな緒方さんに転機が訪れる。アキレス腱断裂の大怪我をしチームを離脱した前田智徳さんに代わり、ついにレギュラーに定着。その年は47盗塁で盗塁王に輝くなど、大車輪の活躍を見せたのだ。

カープ一筋、緒方さんが残した功績とは

1995年にリーグ8年ぶりとなる40盗塁以上を達成して盗塁王を獲得し、迎えた翌年のシーズン。今度はリーグ11年ぶりの50盗塁という大記録を達成する。さらに翌年の1997年シーズンも盗塁王を獲得し、3年連続で同タイトルを獲得するという当時のリーグタイ記録を達成したのだ。
この3年で記録した盗塁の数は合計146。その間で失敗した数はわずか26盗塁であり、成功率8割を超えるという異次元の活躍を見せた。

FA権獲得とカープ愛

1999年のオフにFA移籍の権利を獲得する。球界の盟主・読売ジャイアンツや、地元佐賀県がある九州をホームとする福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)をはじめとした複数の球団が獲得に名乗りをあげるも、緒方さんは『広島の土地柄やファンへの愛着』を理由にあげて残留の意思を表明した。
2000年からは選手会長に就任し、チームの中心としてリーダーシップを発揮。そして2009年オフ、加齢と怪我によるパフォーマンス低下を理由に引退を決意するのだった。

広島東洋カープの監督として、新たな伝説を刻む

現役引退後の翌年2010年から、緒方さんはカープのコーチとして次世代カープ戦士を育てる役割に徹する。2014年からは当時監督を務めていた野村謙二郎さんの元、実質ヘッドコーチと同じ立場である『野手総合コーチ』に就任。2014年オフには野村さんの後任としてカープの監督への就任が発表された。
就任1年目の2015年シーズンは4位に沈むも、2016年シーズンには下位を引き離しトップをひた走り、ついには緒方さんが育ててきた選手たちと共に悲願のセ・リーグ優勝を果たしたのだ。

まとめ

ただ一筋にカープという球団を愛した緒方さん。その実直な想いと歴代監督の想いが結びつき、25年ぶりとなる2016年シーズンの優勝にいたったのかもしれない。今後の緒方さんの手腕にも注目だ。