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【語り継ぎたい名選手】福岡ソフトバンクホークスを築いたバッターたち

2016 11/10 19:16
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

かつてプロ野球史上初となる記録を打ち立てた4人の選手をご存知だろうか?ホークスの軌跡を追うファンならぜひ押さえておきたい名選手たち。 2003年に活躍した「100打点カルテット」と呼ばれるバッターたちを紹介する。

109打点の3番バッター、井口資仁

ダイハード打線と呼ばれる強力打線を有していた2003年のダイエーホークス。クリーンナップである3番バッターを務めていたのが井口資仁選手だ。
開幕当初は下位打線を任されていたものの、シーズン途中から3番バッターとして定着。2003年シーズンは109打点だけでなく、5試合連続猛打賞の日本タイ記録も達成するなど、輝かしい活躍を見せた。 その後、井口選手は2005年にメジャーリーグに渡り、2009年からは千葉ロッテマリーンズで日本プロ野球に復帰。全盛期のような不動のレギュラーとまではいかないが、現在もその才能を十二分に発揮している。

123打点の4番バッター、松中信彦

2003年のダイエーホークスのクリーンナップで4番を務めたのが松中信彦選手。平成で三冠王(首位打者・最多本塁打・最多打点)を達成した唯一の選手だ。
この年は怪我をした小久保裕紀選手に代わって4番に入り、ダイハード打線をけん引。123打点を挙げ、初の打撃タイトルとなる打点王を獲得した。そして、翌年の2004年に三冠王を達成するのだ。 松中選手は2015年に引退し、現在は野球中継の解説などで活躍している。バッター目線で語る、技術論を交えた解説が面白いと好評だ。

119打点の5番バッター、城島健司

ダイエーホークス不動の捕手・城島健司選手。彼は投手陣をリードする守備の要であり、ダイハード打線の5番を務める強力なバッターでもあった。 2003年はクリーンナップの一員として119打点を挙げた城島選手。終盤まで4番の松中選手と打点タイトルを争うほど、チーム内での競争も白熱していた。
その後はメジャーリーグに渡り、2010年に阪神タイガースで日本プロ野球に復帰。2012年の引退後は野球を離れてタレントとして活躍しており、趣味の釣りを仕事にしながら悠々自適に暮らしているようだ。

104打点の6番バッター、ペドロ・バルデス

2001年にダイエーホークスに入団するやいなや、恐怖の2番打者として恐れられた助っ人ペドロ・バルデス選手。2003年はダイハード打線の6番に入り、100打点カルテットとしてチームの日本一に貢献。ダイエー時代を代表する助っ人として語り継がれている選手だ。
バルデス選手は、守備に難点はあったものの、広角打法を得意とするバッティング技術は一級品。本塁打の量産はもちろん、試合の状況に応じたバッティングも得意としていたバッターだった。 日本球界退団後はメキシコや韓国でプレーを続け、2013年のWBCで39歳にしてプエルトリコ代表に選出された。

まとめ

最強のダイエーホークスを支え、抜群の破壊力を誇るクリーンナップを背負った名選手たち。 球団がソフトバンクホークスに変わってからも活躍した選手もおり、今のホークスファンにとってなじみ深い選手も多いかもしれない。 なお、同一チームから4人の選手が100打点以上を達成したのはプロ野球史上初のこと。歴史に名を刻んだ名バッターたちを肴に、ホークス話に花を咲かせてみてはいかがだろうか。