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北海道日本ハムファイターズの生ける伝説、大谷翔平の功績を振り返る

2016 10/20 18:39
大谷松井Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

日本球界に二刀流が大きな爪痕を残す。プロ入り以来ファンや関係者を驚かせ続けている、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平投手。とどまる所を知らない進化の秘密はどこにあるのか?彼の生い立ちと、これまでに残してきた功績を振り返ってみよう。

"大谷翔平"伝説の始まり

大谷翔平投手は1994年7月5日生まれで岩手県奥州市の出身。翔平の「平」は、平安時代の武士・源義経の出身地である奥州・平泉の「平」から取ったそうだ。
野球を始めたのは小学生の時。当時から受ける捕手が苦労するほど急速が早く、小学校5年生にして110km/hをマークするほどだった。 憧れの選手は花巻東高校の菊池雄星投手。高校は菊池投手の出身校へと進学し、「ドラフトで菊池雄星を越える球団から指名を受ける」ことを目標に掲げ、野球に勤しんだ。

憧れのメジャーリーグと、栗山監督との出会い

高校時代から順調に急速を伸ばし、いつしか"みちのくのダルビッシュ"と呼ばれるようになった大谷投手。高校3年の夏の岩手大会では、アマチュア野球史上で初の160km/hをたたき出すなどその才能の片鱗を見せてきた。
高校卒業後の進路は憧れのメジャーリーグへの挑戦に意欲的だった。しかし、北海道日本ハムファイターズが大谷投手をドラフト1位で指名。栗山監督を交えた交渉や、球団が用意した30ページに及ぶ資料により、ついに大谷投手は北海道日本ハムファイターズへの入団を決意したのだ。

北海道日本ハムファイターズが提示した『二刀流』プラン

大谷投手との交渉の席で球団が用意した資料は『大谷翔平君 夢への道しるべ?日本スポーツにおける若年期海外進出の考察?』という、大谷投手のメジャー挑戦の夢を全面的に後押しする内容だった。その中には投手と打者の『二刀流』育成プランも盛り込まれており、才能あふれる大谷投手の希望を叶えようと球団も全面バックアップを約束したのだ。
そして迎えたルーキー時代のプロ野球開幕。始めは打者として一軍を出場を果たしつつ、二軍の試合で投手出場を続けるなど、徐々に『二刀流』の礎を築いていった。

圧倒的な力を見せつけた『二刀流』解禁

迎えた運命の2016年シーズン。この年、これまで準備を続けてきた投打『二刀流』がついに解禁される。特にこのシーズンは「打」の成績が好調で、5月の試合では自身初の4試合連続ホームランを記録するなど、打者としての期待も一身に背負ったシーズンだった。7月の試合では1番・投手として先発出場し、初球先頭打者ホームランを放ち、投げては8勝目を上げる活躍。
特に先頭打者本塁打は日本プロ野球においてピッチャー史上初の快挙であり、メジャーリーグでも過去に例が無いほどの快挙となった。

NPB最速記録『165km/h』でさらなる高みに

2016年シーズンに史上初の快挙を成し遂げたのは『打者・大谷』だけではない。投げてはNPB公式戦最速記録となる164km/hをマーク。リーグ優勝を決めた試合では先発登板し、9回1安打無失点の完封勝利。3年連続の2桁勝利を達成した。
クライマックスシリーズファイナルステージにおいては、投手・打者とフル出場で試合に出続ける気概を見せる。そして、最後はクローザーとして登板。自身の持つ日本最速記録を越える165km/hをマークし、地鳴りのように沸くファイターズファンの声援に応えたのだった。

まとめ

誰もが驚くほどの伝説を残してきた大谷翔平投手。まだ彼は20代前半。まだまだ伸びしろのある若者だ。日本ハムファイターズファンはもちろん、各球団のファンですら大谷投手の進化には胸を躍らせる他ない。この先どこまでその才能を伸ばせるのか。大谷投手の活躍に期待していこう。