見かけとは違う?日本でもメジャーでも苦労している男「岩隈久志選手」 | SPAIA

見かけとは違う?日本でもメジャーでも苦労している男「岩隈久志選手」


合併騒動ではオリックスを拒否

2004年シーズン中に持ち上がった近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブの球団合併に基づく球界再編騒動。岩隈久志選手はその渦中である近鉄に所属していたことで大きく騒動に巻き込まれます。
シーズン中には当時近鉄の選手会長だった礒部公一選手とともに署名活動を行うなど野球外の行動に時間を取られ疲弊していました。
しかし、そのような状況の中でも岩隈選手は15勝2敗の成績を残し最多勝などのタイトルを獲得します。
2004年シーズンオフに近鉄、オリックス・の合併、新規球団である東北楽天ゴールデンイーグルスの設立が決まります。
その後、分配ドラフトが行われることになりますが岩隈選手はオリックス入を拒否。その後の、岩隈選手とオリックスでの交渉も不調に終わります。
岩隈選手は「わがまま」との批判を受けることもありましたが当時の選手会は岩隈選手を支持しており最終的にオリックスから楽天への金銭トレードという形が取られました。

フォーム変更を余儀なくされた二段モーションの禁止

岩隈選手は近鉄時代から「二段モーション」と呼ばれる投球フォームで戦っていました。1990年代、2000年代前半は二段モーションで投げる選手は多く、岩隈選手以外にも三浦大輔選手(元DeNA)、藤川球児選手(阪神)、松坂大輔選手(ソフトバンク)、斉藤和巳選手(元ソフトバンク)などが取り入れてます。
二段モーションは国際的には禁止されておりNPBでも2006年から厳格に取り締まるようになったのです。このルール変更により岩隈選手をはじめとした各投手達はフォームの変更を余儀なくされてしまいます。
岩隈選手にとってフォーム変更による代償は大きく、二段モーション厳格化の適用1年目となる2006年はフォームを固めることができません。慣れ親しんだフォームの変更はプロ野球選手にとって死活問題です。春のキャンプだけでは間に合わずまた、右肩痛の影響もあり開幕ローテーションから外れます。
この年、岩隈選手は夏場まで二軍で調整を行い9試合に登板。34.1イニングで防御率4.46の成績でした。四球も16個出しており2イニングに1個と岩隈選手らしくない投球が続きます。
8月末に一軍復帰後6試合で1勝2敗の成績を残しますが岩隈選手らしからぬ投球でした。やはり、フォーム修正が大きく響いていたのです。
しかし、2007年はフォーム修正が順調に行われ開幕投手を務めます。故障もありシーズンを通して働くことはできませんでしたが復活を果たしたのです。

執念が実らず!涙の3ラン被弾

岩隈選手が楽天時代に唯一ポストシーズンへ進出した2009年。チームはファーストステージのソフトバンク戦を勝ち抜き日本ハムとのファイナルステージに臨みます。
第1戦は9回裏、4点リードからターメル・スレッジ選手の満塁サヨナラホームランで敗戦。アドバンテージ含めて0勝2敗で迎えた第2戦に岩隈選手は先発します。8回3失点の好投を見せ完投しますが打線の援護なく敗れてしまいます。クライマックスシリーズファイナルステージは6連戦ということもあり岩隈選手の登板はこれで最後のはずでした。
しかし、第3戦をものにした楽天は第4戦の終盤4-6と2点ビハインドの8回裏に岩隈選手を投入したのです。先発投手としては異例となる中1日での登板です。しかし、楽天、岩隈選手の執念は届かずスレッジ選手に3ランホームランを浴び勝負を決定づけられてしまいました。
この3ランホームラン被弾後に岩隈選手は涙を見せますが「岩隈選手で打たれるならしょうがない」とファンは感動していました。

夢の舞台に届かず!ポスティング後の交渉が不調に

楽天でエースとして活躍を続けてきた岩隈選手ですが決して楽な道のりではありませんでした。創設間もない球団とあって、勝ち星はなかなか伸びませんでした。創設初年度の2005年は、開幕戦で歴史的勝利を収めたものの9勝15敗とプロ入り後、初の負け越しを喫してしまいます。
その後は故障もあり満足に投げることもできませんでした。しかし、2008年に21勝4敗と圧倒的な成績を残し投手タイトルを独占。沢村賞にも輝きます。2009年には田中将大選手、永井怜選手と三本柱を形成し球団初のクライマックスシリーズ進出に貢献します。
2010年も3年連続となる二桁勝利をマークしオフにはポスティング制度を利用してのメジャーリーグ移籍を目指します。そのポスティング後の交渉が誤算でした。
岩隈選手を最高額で入札したのはオークランド・アスレチックスでした。アスレチックスと岩隈選手の交渉は額面での折り合いがつかず不調に終わってしまいます。岩隈選手はポスティングシステムを利用してメジャーリーグ移籍が叶わなかったのです。これにより岩隈選手は翌2011年シーズンも楽天で戦うことになったのです。

メジャーでは中継ぎスタート

海外FA権を行使し2011年オフにシアトル・マリナーズと契約した岩隈選手は晴れてメジャーリーガーとなりました。日本では先発投手として活躍していた岩隈選手ですがマリナーズでの役割は中継ぎでした。開幕からロースター入りするもデビュー戦はなかなか訪れません。岩隈選手のデビュー戦はチーム15試合目となる4月20日(現地時間)でした。
デビュー戦は敗戦処理としての登板でしたが淡々と岩隈選手は役割をこなし4回1失点に抑えます。それ以降も岩隈選手は中継ぎ登板が続き先発の機会は与えられませんでした。
岩隈選手が初めて先発登板を果たしたのは開幕から3ヶ月が経過した7月2日でした。この試合で岩隈選手は勝ち星こそ付きませんでしたが、5回3失点と及第点の成績を残します。この登板以降、岩隈選手はローテーションに定着し先発として8勝をマークします。
2年目以降の岩隈選手はマリナーズで先発の柱としてフェリックス・ヘルナンデス選手とともにフル回転します。2年目に14勝をマークしオールスターへ出場。サイヤング賞投票でも3位に入ります。3年目、4年目と15勝、9勝と結果を残し5年目となる2016年には自己最多の16勝をマークしました。2017年シーズンもローテーションの柱として期待が掛けられています。
中継ぎスタートと苦しいメジャーリーグデビューだった岩隈選手ですが、実力で先発ローテーションを奪い取ることに成功したのです。

おすすめの記事

関連記事

試合経過・結果

4/26 23:30更新

セ・リーグ

  • {{game.HomeTeamName}}
    {{game.HomeScore}}
    詳細
    {{game.formatted_time}}
    中止
    {{game.Inning}}回{{game.BottomTop}}
    終了
    {{game.VisitorScore}}
    {{game.VisitorTeamName}}

パ・リーグ

  • {{game.HomeTeamName}}
    {{game.HomeScore}}
    詳細
    {{game.formatted_time}}
    中止
    {{game.Inning}}回{{game.BottomTop}}
    終了
    {{game.VisitorScore}}
    {{game.VisitorTeamName}}

人気記事ランキング