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【だんだん!】鳥取県の野球強豪校5選

2016 9/23 11:08
野球 鳥取県 強豪校
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Photo by mTaira/Shutterstock.com

大人になった今も、何故か年上に見えてしまう甲子園球場で闘う高校球児たちの姿に、毎年春夏にはついついテレビの前で声援を送っている。
今回は夢を追いかける鳥取県の野球強豪校をご紹介しよう。

プロ野球の能見篤史投手を輩出!【鳥取城北高等学校】

ここ数年、夏の甲子園に県代表として予選を勝ち進んでいる鳥取城北高校。以前の常連校を抑えて見事に甲子園の土を踏むチャンスを掴んでいる。甲子園では初戦突破することも増え、更なる躍進を期待したいところだ。学校の歴史は他校と比べて古いわけではないが、その中でも長年にわたり県では安定した戦力を保っている。
近年は好調なこの野球部を目指して入学して来る有望な選手も増え、益々波に乗って鳥取の高校野球を全国に知らしめてくれることだろう。

鳥取藩校「尚徳館」を受け継ぐ伝統の強豪校【鳥取県立鳥取西高等学校】

「文武両道」という言葉を、思わず思い浮かべてしまう県立鳥取西高校。歴史も長く伝統があり、決してゆるくない校風の中で勉強に励み、難関校といわれる大学に受験合格する生徒も少なからずいる進学校である。
一方、その硬式野球部はたびたび春夏の甲子園球場に県の代表として出場する強豪で、山陰地方では甲子園最多出場校という輝かしい記録を持っている。これからも是非その記録を更新するべく、益々強い底力を見せてくれることを期待したい。

「真摯明朗」にして甲子園出場を果たす強豪校【鳥取県立八頭高等学校】

鳥取県の、甲子園を目指す参加校は全国でも1番少ない。そんな中でも野球に力を注ぐ強豪校の一つに県立八頭高校があげられる。決して多いとは言えない参加校の中でも、ドラフトで指名されプロ野球入りを果たす選手は多くないのだが、今から遡ること1975年にプロ球団に入団した田中由郎投手はこの八頭高校の出身者である。
そんな県立八頭高校は歴史の長い伝統校ではあるが、昭和62年に夏の甲子園初出場を果たしてから8度の出場、春夏共にその栄光を勝ち取っていて、県代表を争う強豪校として今も常に君臨している常連校なので、全国的にもその名を知っている人は多いだろう。

甲子園ベスト4の実績を持つ強豪校【倉吉北高等学校】

校訓が「質実剛健」の倉吉北高校。1961年設立で、初めて春の選抜甲子園に出場したのは1975年のことである。それまで破れなかった他の鳥取県勢出場校の「守備を鍛え、少ないチャンスを捉えて得点する」という戦法に、徳山一美監督が打線の強化という風穴を開けた結果である。1978年に夏の甲子園に初出場を果たした際に初戦で早稲田実業を破り、2回戦ではその年準優勝の高知商業に派手な打撃戦の末、敗れはしましたが、その大会を機に他校からも注目されるようになっていった。
結果、県外から倉吉北高校の野球部を目指して入学して来る生徒が増え、1981年にはベスト4入りを果たして「山陰の暴れん坊」と呼ばれるようになった。その後は甲子園への出場はない同校ですが、もう1度その本領を発揮して、甲子園で活躍する彼らの雄姿をこの目に収められる日が来ることを期待しよう。

「とんがれ米東!」再びかつての強豪校へ【鳥取県立米子東高等学校】

唯一鳥取県代表で春の選抜甲子園準優勝という輝かしい記録を持つ米子東高校。設立は1899年、硬式野球部は1900年ごろから活動し、鳥取西高校と並ぶ山陰の名門校である。「米東野球」と称された堅い守備と短打戦法、犠打と洗練されたマナーで春夏甲子園通算13回出場、その内1960年に準優勝の座を掴んでいる。野球以外にも高校生クイズの優勝校であり、地元国公立大学への進学率が最も高い文武両道を校風としていたが、近年は学業重視の姿勢に転換しつつある。
平成以降県内公立の一部中学校の道徳副読本に、米東硬式野球部のマナーの良さをたたえる物語が掲載されているほどで、もう1度甲子園球場という晴れ舞台で私達を魅了してくれることを期待したい。

まとめ

かつては春の選抜高等学校野球大会、通称甲子園の準優勝にまで上り詰めたこともある、鳥取県の硬式野球部。今ではその予選参加校の少なさが話題に上ることの方が多くなり、過去の栄光を知らない人も多いのではないだろうか。
参加校が少なくても、かつてのような勢いのある姿をもう1度見せて、これからの高校野球を盛り上げる立役者になってくれることを期待したい。その姿はきっと人々に希望を与えることだろう。