「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

1980年代前半の 甲子園を振り返る

2017 6/30 12:56cut
高校野球
このエントリーをはてなブックマークに追加

出典 mTaira/Shutterstock.com

1980年:大ちゃんフィーバーの幕開け

1980年春のセンバツは「四国四商」の一角で唯一甲子園優勝経験がなかった高知商(高知県)が初優勝。決勝は高知商のエース・中西清起選手、帝京(東京都)のエース伊東昭光選手が両者譲らずに0-0のまま、試合は延長戦へ。高知商は延長10回裏にサヨナラ犠飛で均衡を破り熱戦の幕は閉じられた。尚、中西選手は投手としてだけでなく打撃でも実力を発揮し、準々決勝では大会通算200号本塁打を放っている。
夏の選手権では新たなスター候補が誕生した年でもあった。早稲田実業の1年生エース荒木大輔選手だ。背番号は「11」だったが初戦から先発のマウンドを任され、初戦の北陽(大阪府)戦を完封。以降も快投を続け準決勝まで44.1回無失点と圧巻の投球を披露した。
荒木選手率いる早稲田実業の決勝の相手は愛甲猛選手率いる横浜(神奈川県)。最後の夏となるこの大会キャプテンとしてチームを率いていた愛甲選手が決勝でも5打数2安打の活躍を見せ荒木選手を打ち崩し横浜の初優勝に大きく貢献した。以降、神奈川県の強豪として名を馳せることになる横浜の初優勝は愛甲選手によってもたらされたのだ。
荒木選手は準決勝まで無失点を続けていたものの、疲労からか決勝では初回に2失点と本来の調子を発揮できなかった。しかし、ここから5季連続で甲子園出場を果たすなど一時代を築くきっかけとなった大会なのは間違いない。

1981年:PL学園が春のセンバツ初優勝

1983年から桑田真澄選手、清原和博選手のKKコンビを擁し甲子園の主役を独り占めするPL学園(大阪府)が初めて春のセンバツを制したのが1981年春のセンバツだった。夏の選手権は1978年に優勝を果たしていたものの春のセンバツは過去7回の出場でベスト4が最高成績となっていたのだ。
PL学園は、初めて決勝まで勝ち進み印旛(千葉県)と対戦する。この試合は6回に印旛が1点を先制し、そのまま試合は9回裏PL学園最後の攻撃へ。1死後に奇跡的な3連打を放ち2点を奪いサヨナラで優勝を飾ったのだ。1978年夏の高選手権で「逆転のPL」の異名がついたPL学園が世代を超え、ここでも奇跡的な逆転勝ちを収めた大会だった。
夏の選手権を制したのも「逆転の報徳」の異名を持つ報徳学園(兵庫県)だった。エースで4番の金村義明選手は横浜戦で2打席連続本塁打を放つなど投打に渡り活躍。決勝では京都商(京都府)相手に2-0で完封勝利を収め初優勝を飾っている。金村選手は打率.545(22打数12安打)、2本塁打、4打点と大活躍を見せ、近鉄バファローズへドラフト1位で入団を果たした。
この大会では名古屋電気(現:愛工大名電/愛知県)の工藤公康選手が長崎西(長崎県)戦でノーヒットノーランを達成するなどベスト4まで進出を果たしている。

1982年:PL学園の春連覇にやまびこ打線

1982年春のセンバツは前年に引き続きPL学園が強さを発揮。初戦、東北(宮城)を4-1で破ると2回戦(2-1)、準々決勝(1-0)、準決勝(3-2)の3試合を全てロースコアの1点差ゲームで勝利し決勝に駒を進めてきた。
決勝の相手は二松学舎大付属(東京都)となり11年ぶりとなる東京対大阪の構図となった。6回まで3-1でPL学園がリードとロースコアな展開となったが7回に5点、8回に2点、9回に5点を奪い15-2で圧勝。51年ぶりの春連覇を達成している。 春連覇を達成したPL学園が出場できなかった夏の選手権を制したのは「やまびこ打線」として一世を風靡した池田(徳島県)だった。6試合で44得点(平均7.3点)と圧倒的な攻撃力を持ち畠山準選手、水野雄仁選手らが中心選手としてチームを牽引していた。
水野選手は早稲田実業戦で5季連続で甲子園に出場しているエース荒木選手から、2打席連続の本塁打を放つなど、打撃での活躍が目立った年であった。

1983年:池田の夏春連覇にKKコンビが初登場

圧倒的な打力を誇り前年(1982年)夏の選手権を制していた池田がこの年の春のセンバツも制している。畠山選手に代わってエースとなった水野選手が5試合で2失点(自責0)と圧巻の投球を披露。決勝の「Y高」こと横浜商戦でも完封勝利をマークし史上4校目の夏春連覇を達成した。
夏の選手権では夏春夏の三連覇を目指す池田に自然と注目が集まった。池田は初戦から順調に勝ち進み準決勝まで駒を進める。準決勝の相手はPL学園だった。エースの水野選手は1年生の桑田真澄選手に本塁打を打たれるなど0-7と一方的な敗戦を喫し三連覇の夢は潰えてしまった。この試合が池田の時代からPL学園の時代へと移り変わる一戦だったとも言える。
PL学園は決勝も横浜商を完封し見事に優勝を飾ったのだ。この大会でデビューしたKKコンビの桑田選手、清原和博選手がここからの高校野球を引っ張ることになる。

1984年:PL学園が春夏準優勝

春のセンバツはPL学園が夏春連覇を達成できるかに注目が集まっていた。その前評判通りにPL学園は初戦を18-7で大勝すると続く2回戦も10-1と2戦連続で二桁得点を挙げる。準々決勝、準決勝は6-0、1-0と無失点に抑え決勝まで勝ち上がってきた。
決勝戦相手は初出場の岩倉(東京都)で、ここまで4試合全て2点差以内のロースコアゲームを戦ってきた試合巧者だ。試合はPL学園・桑田選手、岩倉・山口重幸選手の白熱した投手戦となり7回が終わって0-0。試合が動いたのは8回裏だった。岩倉が菅沢剛選手の適時打でついに先制点を挙げる。9回表も山口選手が無失点に抑え初出場初優勝を飾ったのだ。猛打が売りのPL学園であったが、山口選手の前にわずか1安打に終わり完封負けを喫してしまった。
春のセンバツで準優勝に終わったPL学園は大阪府大会を勝ち抜き夏の選手権に戻ってきた。この大会でもPL学園は1回戦から猛打爆発。3回戦までの3試合で32点を奪い順当に勝ち進む。準々決勝、準決勝は2-1、3-2と僅差のゲームであったが、勝ち進み夏春夏と3大会連続となる決勝進出を果たした。
決勝の相手は取手二(茨城県)だった。PL学園は8回表まで1-4と3点ビハインドだったが8回裏に2点、9回裏に1点を奪い延長戦に持ち込む。しかし、延長10回表に4点を失い4-8で敗れKKコンビの2年時は春夏連続で準優勝に終わってしまったのだ。