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まさに茨城の顔!常総学院高校野球部の歴史と甲子園での戦績

2017 3/22 18:28hiiragi
野球
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Photo by mTaira/Shutterstock.com

設立新しい学校にもかかわらず、今ではすっかり茨城県の顔となった常総学院高等学校。2016年は春夏同時出場を果たし、夏はベスト8まで勝ち上がった。そんな常総学院野球部の歴史や成績、卒業生を紹介する。

初出場で決勝まで進んだ夏の甲子園

常総学院高等学校は1983年設立と新しい高校で、野球部も同じ年に作られた。甲子園初出場は創部4年目の1987年で、この年は春夏同時出場を果たした。春の大会は東海大浦安高校の代理出場で、1回戦で敗退する。しかし、夏の大会では初出場で決勝まで進み、準優勝に輝いた。
設立が新しいにもかかわらず、甲子園は春に9回、夏に16回と合計25回出場しており、成績も素晴らしく、春は優勝と準優勝、夏は優勝と準優勝を経験し、それぞれ1度はベスト4を獲得している。

仁志敏久選手を擁し、夏の甲子園に3年連続出場

夏の甲子園には1987年から1989年まで3年連続で出場している。この時、選手として3年連続で出場したのが、1年生からレギュラーだった、元読売ジャイアンツの仁志敏久選手だった。初出場となった1987年第69回大会では、決勝戦までコマを進め、大阪PL学園に2-5で敗れる準優勝だった。翌1988年は2回戦で敗退し、1989年は1回戦敗退とあまりいい結果は残せていない。
その後、仁志選手は早稲田大学、日本生命と進み、読売ジャイアンツに入団。最後はアメリカ独立リーグ、ランカスター・バーンストーマーズで現役を引退した。

準優勝からステップアップでつかんだ春の初優勝

3回目の出場となった1994年第66回春の甲子園では、決勝で智辯和歌山に敗れて準優勝だったが、5回目となった2001年第73回大会では見事優勝を飾る。2回戦から登場して、和歌山県南部高、石川県金沢高、福岡県東福岡高と勝ち進み、準決勝では大阪の関西創価高と対戦。1-1の9回裏にサヨナラで勝利し、宮城県仙台育英高との決勝に臨んだ。
この試合は点の取り合いとなるが、3人の投手を上手く使い、7-6の僅差で逃げ切りに成功し甲子園初優勝を飾った。

ダルビッシュ有投手を攻略してつかんだ夏初優勝

夏の大会初優勝は、9回目の出場となった2003年第85回大会だった。夏の大会には2001年から連続出場が続いていて、過去2回は2回戦敗退、3回戦敗退と今一つ波に乗れていない。この大会では3回戦で静岡高に7-0、準々決勝は佐賀県代表鳥栖商業に5-1と、危なげなく勝ち進んだ。
準決勝では群馬県の桐生第一高を6-2で下し、決勝は宮城県東北高と戦う。東北高のピッチャーは当時2年生だったダルビッシュ有投手だった。試合は2回に2点を先制されるが4回に3点返し逆転、8回にも1点追加して4-2で勝利を収めた。

2016年は春夏同時出場

2016年は春夏同時出場を果たした。2015年に続いて連続9回目の出場となった第88回春の大会では、九州代表鹿児島実業に2-6で敗れ1回戦で姿を消す。
しかし、3年ぶり16回目となった第98回夏の大会では、1回戦滋賀県の近江高に11-0、2回戦岐阜県の中京高に8-3、3回戦大阪の履正社高に7-4と勝ち進み、ベスト8まで進んだ。準々決勝では熊本県の秀岳館高と対戦し、2回3回とホームランで得点を許し、秀岳館ペースのまま1-4で敗れた。

まとめ

茨城県の甲子園常連校である常総学院野球部。新しい学校にもかかわらず、甲子園春夏合計25回という出場記録は、茨城県では群を抜いている。成績も春夏優勝の経験があり、申し分なく、今後の活躍が楽しみな学校だ。