ボストンは世界記録が公認されないコース
初マラソンで大迫傑(ナイキ・オレゴンプロジェクト)が3位に入り、日本から注目されることになったボストン・マラソン。世界最古のマラソン大会という伝統を持った大会ですが、ほかのメジャー大会と違う点があります。
それは、ここで世界記録を上回るタイムを出しても世界記録として公認されないということです。
かつてマラソンを含めたロードレースの世界歴代1位の記録は「世界最高」と呼ばれ、現在のように「世界記録」ではありませんでした。トラック競技と違い、高低差、カーブの数、折り返しがあるかどうかなど、コースごとの特徴があり、単純に記録で比較できないために「最高」と表記されてきました。
ところが国際陸上競技連盟は2004年、ルールを定め、ロードレースでも世界記録として認めることにしました。そのルールの中に、スタートとゴール地点の標高の減少は競技距離の1000分の1以下(マラソンでは42メートル。下りのコースにしてタイムが出やすいようにしないため)、スタートとゴール地点の直線距離は競技距離の半分以下(片道にすると、ずっと追い風になる場合もあるから)といった条項がありますが、ボストン・マラソンはこの二つを満たしていません。なので、ボストンで記録を出しても世界記録になりません。
実際、2011年にはボストンでジェフリー・ムタイ(ケニア)が当時の男子マラソン世界記録を上回る2時間3分2秒で優勝しましたが、世界記録として公認されませんでした。
片道は有利にも不利にも
ボストン・マラソンのコースは、日本でよく見られるようなスタートとゴールが同じではなく、スタートとゴール地点が全く違うところにある片道のコースです。
片道は気候もよくて、追い風がずっと吹く可能性もあり、好記録が生まれる要因にもなりますが、逆もまたしかりです。ボストンは年によって記録の差が大きいのが特徴ですが、それは片道コースであることも要因の一つかもしれません。
さて、大迫の記録について話を戻します。
タイムは2時間10分28秒と、2時間10分を切る「サブテン」でもなかったにも関わらず評価されているのは、このコースの特徴ともリンクするのです。当日、向かい風だったかどうかはわかりませんが、気温は25度前後になり、記録が出にくい条件になっていたのです。
事実、優勝したジェフリー・キルイ(ケニア)とは51秒差、2位に入ったリオ五輪銅メダリストのゲーレン・ラップ(米国)とは30秒差と上位との差は大きくありませんでした。ある意味、ボストンらしく、みんな記録が悪かったのです。
2時間3分、4分、5分台の自己ベストを持った選手も大迫の後塵を拝しています。そして、ワールドマラソンメジャーズで日本男子が表彰台に上がるのも初めて。やはり、快挙なのです。
心臓破りの丘も乗り越えた
もう一つ特筆すべきなのは、5キロごとのスプリットタイムです。
16分を超えたのは25~30キロの5キロだけです。最終盤の35~40キロは15分7秒とかなり速いのですが、ここは下り坂が続くので、タイムを鵜呑みにはできないかもしれません。
それよりも、目を引くのがその前の30キロからの5キロです。ボストンのコースには一つの名物があります。映画のタイトルにもなった「心臓破りの丘」。終盤で選手が疲れた時に現れる、32キロから続く上り坂のことを言いますが、大迫はこの心臓破りの丘がある30~35キロを15分30秒で乗り切っています。
「この丘を走ることでカラダにダメージがたまる」という話をある実業団の監督から聞いたことがありますが、大迫はそんなダメージとは無縁だったのかもしれません。
大迫はどこへ向かうのか
3000メートル(非五輪種目)、5000メートルの日本記録を持ち、トラックでの活躍も期待されますが、日本人はマラソン好き。否が応でも、東京五輪でのマラソンの活躍を期待します。大迫は3年後に迫った東京五輪ではどちらを狙うのでしょうか。大迫はメディアの取材に以下のように答えています。
「今はどちらかに決めているわけではない。確実にメダルをとれる自信が芽生えたら、どちらか一本でいけばいいと思う」
2度目のマラソンの結果が待たれるところです。