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今の陸上界を作ってきた名選手たち!陸上競技跳躍の名場面紹介

2017 1/30 21:11
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Photo by Herbert Kratky/Shutterstock.com

スポーツにはこれまで数多くの名場面が生まれてきた。中でも陸上競技は2016年のリオデジャネイロオリンピック、パラリンピックでも多くの選手が活躍した。陸上競技の中で跳躍競技に注目し、その名場面を紹介したいと思う。

跳躍競技とは?

様々な種目が行われる陸上競技だが、今回紹介する跳躍競技は走り高跳び、走り幅跳び、棒高跳び、三段跳びの4種目から構成されている。陸上競技の中でも、トラックで行われる100m走やハードルといった種目がトラック種目と呼ばれるのに対して、フィールドで行われることからフィールド種目と呼ばれている。
高く、遠くへ跳ぶということを追求するこれらの競技だが、その歴史は非常に古く、紀元前に行われていた古代オリンピックで既に走り高跳びや走り幅跳びは行われていた。

ディック・フォスベリー1968年メキシコオリンピック(走り高跳び)

ディック・フォスベリー選手は、今の走り高跳びの歴史を作ったといっても過言ではない選手だ。
1968年のメキシコオリンピックにアメリカ代表として出場したフォスベリー選手は、それまで走り高跳びで主流の跳び方とされていたベリーロールに変えて背面跳びを初めて世界レベルの大会で実施した選手だ。さらにすごいことにフォスベリー選手はこの大会で金メダルを獲得し、走り高跳びでは背面跳びが主流の跳び方となり、記録が一気に上がっていった。
背面跳びは今も行われる跳び方であることからも、フォスベリー選手は走り高跳びの歴史を変えた選手だと言える。

山本篤 2008年北京パラリンピック(走り幅跳び)

2016年のリオデジャネイロパラリンピックでもメダルを獲得するなどの活躍を果たした山本選手だが、ここでは2008年の北京パラリンピックを紹介する。
山本選手は2002年に競技を始めてからわずか6年で北京パラリンピックに出場している。しかも、初めてのパラリンピックであったにもかかわらず5m84cmの記録を残し、いきなり銀メダルを獲得した。日本のパラリンピック陸上競技史上、義足のアスリートのメダル獲得はこの銀メダルが初であり、山本選手はパラ陸上界に新たな歴史を刻んだ。
ちなみに山本選手は、現在も自身の記録を更新し続けていて、まさに日本パラ陸上界のトップ選手であり、これからの活躍も期待される選手だ。

エレーナ・イシンバエワ 2005年世界陸上ヘルシンキ(棒高跳び)

2016年に現役引退を表明したイシンバエワ選手は、女子棒高跳びの世界記録保持者である。
今回紹介する2005年の世界陸上ヘルシンキ大会は、イシンバエワの大会だったと言ってもいいかもしれない。この大会でイシンバエワは当時の世界記録となる5.01mで世界陸上初優勝を果たす。当時の女子棒高跳びでは5mは誰も超えたことがない非常に大きな壁だった。イシンバエワ自身も世界陸上の直前に行われた大会で女子史上5m越えを果たしたばかりだった。そんな中で、世界陸上という大きな大会で5m超えという大記録を残したことは陸上界に非常に大きな衝撃を残した。

織田幹雄 1928年アムステルダムオリンピック(三段跳び)

何と言っても織田幹雄選手は、日本人初のオリンピック金メダリストという金字塔を打ち立てた選手として日本のスポーツ界に名を残す名選手だ。
1912年のストックホルム大会がオリンピック初出場となった日本にとって、アムステルダム大会は4度目のオリンピック。4大会目にして悲願の金メダルを掴んだのだった。
織田選手は、その前の1924年パリオリンピックでは6位入賞を果たしており、アムステルダム大会では予選から15m21というトップの成績を残して決勝へ進出、決勝でもこの記録がトップとなり金メダルを獲得した。当時の日本は世界から見て陸上の弱小国という立ち位置だったが、織田選手の活躍により日本の陸上が世界に認められるようになった。

まとめ

ここまで跳躍競技の名場面を紹介してきた。 跳躍といっても競技ごとに様々な名場面がある。ここでは紹介できなかったものもたくさんあるし、これから先も新たな名場面が生まれてくるはずだ。ぜひ、跳躍競技に注目してみてほしい。