「輝け鉄紺」東洋大学駅伝の歴史とは | SPAIA

「輝け鉄紺」東洋大学駅伝の歴史とは


駅伝

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全国の大学駅伝ファンの方へ。 いまや上位常連校と言われる東洋大学はどのようにして強豪と呼ばれるまでに成長してきたのでしょうか。 本記事ではその歴史を辿っていきたいと思います。

東洋大学駅伝部の歴史

箱根駅伝に加えて関東インカレの常連校として全国に名を馳せる東洋大学陸上競技部は、1927年に創部されました。『鉄紺』と呼ばれる紺色をチームカラーにしており、創部から約90年間で元世界記録保持者である伝説的存在の池中康雄選手をはじめとする数多くの名ランナーを輩出してきた伝統校でもあります。
1933年に開催された箱根駅伝に創部5年目で初出場を果たし、2年後の1935年には箱根駅伝第5区で池中康雄選手が東洋大学史上初の区間賞を獲得しています。同年池中選手はベルリンオリンピックマラソン代表の選考として行われたレースにおいて2時間26分44秒の世界記録を達成また保持するなど、第二次世界大戦後の日本陸上界で尽力しました。
1960年代には箱根駅伝でとても安定感のある好成績を収め、トラック部門でも1964年東京オリンピック男子3000メートル日本代表の奥沢善二選手やメキシコオリンピック男子3000メートル日本代表の松田信由選手が出るなどの、ピークを迎えました。

2016年までのチーム成績

箱根駅伝には2016年まで74回の出場を果たし、4回という優勝回数を誇ります。1970年代には箱根駅伝においてシード権争いの常連校に名乗りを上げ、「ロードの東洋大」や「復路の東洋大」という異名まで付きテレビでも紹介されました。、第85回箱根駅伝へ出場した際は、柏原竜二選手の活躍が大きく及び同大学初の往路優勝を果たしました。さらに復路でも優勝し史上初が重なり合っての総合優勝という輝かしいタイトルを達成しました。
実は創部から出場回数60回を超えるているのに対して優勝に縁がなかった東洋大学。2009年に遂に手に入れた総合優勝によって初出場以来76年目、67回目の出場で、箱根駅伝において最も遅く総合優勝に輝くことができました。この出来事を記念した同学OGが、優勝の裏側を描いたドキュメンタリー本まで発行しています。

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